映画「JOKER(ジョーカー)」を見て、考えや気持ちをまとめてみる(極力ネタバレ回避気をつけてます)
映画見ました「JOKER」
平日20:15上映時間で映画館は満席。男女比率は半々だったような印象。
感想を一言で表すと「凄ぇ・・・・・凄まじいな・・・・」
頭でアレコレ考える以前に、心が激しく揺れ動かされたのはハッキリと感じました。
ただ、その後頭で考えようとするとじっくりと時間を必要とするので、このブログで文章を書きながらまとめようと。
この映画少しもダレることなく、あっという間に終演しました。
もちろん、ストーリー上他愛ないシーンはあるのだけど、主役のホアキン・フェニックスの表情や目線、台詞のトーン、更にはたたずまいだけでも目が離せない緊張感がある。
その、ホアキンの演技をブーストアップさせる音楽、カメラワーク、演出も凄い。
フト頭を過ぎったのが小説「アルジャーノンに花束を」「蛍の墓」・・・・・
「え??」と思われる方はいると思うが、頭を過ぎったものはこの2作品なのだ。
優しい心をもった主人公が、この世の理不尽な波にあらがえずに、巻き込まれてしまっていく・・・・・結末が大きく異なるけど、まぁ、そういう共通点はあるかな。
あとはドラマ「聖者の行進」もかな。。。。あ・・・「アニメ フランダースの犬」もそういった意味では身につまされる理不尽で主人公ネロが追い詰められるよね。
更に思いついたのは「時計じかけのオレンジ」は狂気具合が良い勝負な気がする。
主人公が追い詰められて「変貌」する様は同じキューブリック作品「シャイニング」も通ずるところがある。(ジャック・ニコルソンはジョーカー演じてるけど、やっぱり凄い俳優だわ・・・・)
ピエロの仕事をしているし、コメディアン志望でもあるので、主人公が笑うのだけど、物語の展開で彼が笑えば笑う程悲しくなってくる・・・・泣いているとしか思えない。
職業柄、時々身体的(心神的・・もしくはその両方)多少なりとも障害のある方、生活が困窮されている方とも関わることがある。
究極の理想論は「社会的ハンデを持っている人たちも、幸せに生活ができるように助けあえる社会(人間関係)」でありたいのだけど、様々な理由から人それぞれに「距離感」を決める・・・決められる。
当然現実では「助けられないどころか、追いやる(やられる)」対応をしてしまう(されてしまう)。。。。自分のモラルをあぶり出されていると感じるんだよね。
そして、心神喪失されている方が、間違いの無い物証があっても「自分は間違っていない」と言い切られてしまうと、もうそれ以上のコミュニケーションは無理だし、話しを打ち切れば逆恨みされる事もあるわけで・・・・・・
もう一つリンクしたのは「親、もしくは再婚(同居)相手から虐待された子供のニュース」が完全に思い浮かんでしまう。負の連鎖。社会全体で断ち切らなければならない負の連鎖。。。。。報道されるのは極々一握り。 日本でもご近所さんでは有名なというレベルでは必ず沢山いるんだろうな。
完璧に被害者の子供が助けられる。でも、心に深い傷を負い、コミュニケーションがとれずに大人になり、仕事につけない・・・という悪循環にハマった場合、その子供(成人したその人)は自己責任の一言で終わらせられないでしょう??
ちょっとシリアスな方向に話しが向かってしまったけど、「感情、善悪の定義、愛、社会のあり方」をグチャグチャにかき回される・・・・我が輩はそう感じた。
グチャグチャにかき回されるもう一つの要因が「虚構と現実の境界線が見えない」演出。見方によっては「ジョーカーというものは全く存在せず、全てはアーサーの妄想を映像化しただけ・・・・」なんて見方も出来るし。凄いよね。
でも、この映画実に実に不思議で「鬱展開だから、もう二度と見たくない」とは思わない・・・先にも挙げた「時計じかけのオレンジ」同様、胸がモヤモヤザワザワする不快感を確実に感じながら、何度も見たくなるし、きっと「時計じかけ~」同様に見る度に衝撃を受けるのだと思う。
賛否両論、好き嫌い 意見や感想は多岐にわたる作品だと思う。素直にオススメは出来ない。
個人的には「ダークナイト」のジョーカー(ヒース・レジャーが演じてます)と違和感なくリンクが出来ます。近日中にダークナイトを見よう。
ビタっとまとめ切れなかったけど、これが我が輩が感じたことです。