良い物は良い物なのだ

周りの人がイマイチと思っても、自分が良いと思ったモノやコトをブログしようかと思ってます。連載は不定期です。

虐待餓死事件を考えてみる

思うところがあって、書きます。

児童虐待事件。

餓死??????イミワカンネ・・・・・

「自分は差し置いてでも、子供達にお腹いっぱいになってもらいたい、美味しいものを食べさせてあげたい」(突き詰めていけば、自分の命など構わず、子供達を助ける)
それが愛ってやつだと”俺”は思います。



4歳と7歳の子供のいる親なんで・・・・・新聞などで得た情報をもとに想像するだけで、胸が痛くなります。

胸を痛めることで終わらせず、その先を俺は考えます。小さな脳みそですが。


死んでしまった子供・・・・生まれてきた意味はあると”俺”は思います。

「もう、同じ境遇の子供を増やしてはいけない」


無くなった小さな子供達は、本当はこんな形で命を終わらせたくなかったと。。。。想像をしますし、本人達はそんな大層な思いなど描いてもいないのだろうけど。。。。。結果的に↑の大きな大きなメッセージを残してくれたんだと。。。。。勝手な解釈ですが。。。。。そう思いたいです。

幸い、我が家の御近所さん達は皆さんいい人達ばかりで、虐待の気配は皆無なんですが、近所でなくたって「そういう現場を見聞きした」ならば、子供達のメッセージをキチンとキャッチして、それに対応出来る大人にならなくては・・・・・・

こういうニュースを見聞きして、一人一人がそういう意識の変化をしないと同じ子供が増えていくと思うんですよ。

そんでもって、自分一人で↑のように思っていたんですが、折角「外へ発信する」手段があるんだから、非常に微力なのを承知のうえで、自分のこの意見を発信してみようかと・・・・

押しつけに思われる可能性もある(そう感じる人もいるでしょう。感じ方は千差万別です)
偽善と言われる可能性もある(そう言う人もいるでしょう。いろんな意見があって良いと思います)

でも、こんな影響力の少ないアホブログでも何かの縁で立ち寄って、この記事を見てくれて、「そうかもしれない」と少しだけでも感じてくれて、行動してくれて、現実にどっかの虐待受けている子供が救われるかもしれない・・・・・・・

ドラゴンボール元気玉のように「ちょっとだけ、気を配る」
偽善と言われてもいいっす。 無力な子供が、こういうちょっとした心配りの連鎖で助けられる可能性が広がるのならば。

一人で思っているだけでは、波紋は絶対に広がらないんで。
「みんな!僕に愛情を!」「みんな!私に優しさを!」と呼びかけている子供達は確実にいるはずだから・・・・・然るべき場所に電話報告するだけでも、彼らにとって一筋の光になるかもしれないから・・・・・